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子どもたちへ 本を届けよう

西日本から 子どもたちへ本を届けよう ネットワーク

二つの世界を生きる

「私(せんせい)のすすめる一冊」~大学生におすすめしたい本を紹介する小冊子(大阪樟蔭女子大学図書館発行)から転載します。

関連記事→セリア・リーズ 『魔女の血をひく娘』

★もっと読みたい方に……

『奇跡の少年』 オースン・スコット・カード著 角川文庫
Seventh Son.Orson Scott Card. 1987.
奇跡の少年 (角川文庫)奇跡の少年 (角川文庫)
(1998/11)
オースン・スコット カード

商品詳細を見る


『赤い予言者』 オースン・スコット・カード著 角川文庫
Red Prophet. Orson Scott Card. 1988.
赤い予言者 (角川文庫)赤い予言者 (角川文庫)
(1999/11)
オースン・スコット カード

商品詳細を見る


『魔女の血をひく娘』と同じく、植民地時代のアメリカを背景とする歴史改変小説だが、
よりファンタジー色が強く、実際の歴史とは微妙に異なるパラレルワールドを舞台に、
魔法や特異な力の存在をめぐって物語が展開される。
(続編は未邦訳)


『イシ ― 北米最後の野生インディアン』シオドーラ・クローバー著 岩波書店
Ishi in Two Worlds : A Biography of the Last Wild Indian in North America, Theodora Kroeber (1961).
イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)
(2003/11/14)
シオドーラ・クローバー

商品詳細を見る

イシ―北米最後の野生インディアン (同時代ライブラリー)

イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語
(1977/09/22)
シオドーラ クローバー

商品詳細を見る


児童文学の古典に『モヒカン族の最後』(ダニエル・デイ・ルイス主演の映画「ラスト・オブ・モヒカン」)があるが……。

本作品は、実際に、自らの属する部族の最後の一人、まさに「生き残り」となったイシが、
白人の世界で生きることを選び、二つの世界を生きた半生の記録である。

著者は、文化人類学者アルフレッド・クローバーの妻、
そして、『ゲド戦記』の作者アーシュラ・K・ル=グィンの母。

(「私のすすめる一冊 4」大阪樟蔭女子大学図書館 編・発行 2008.10.10)

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おはなしボランティアフォローアップ講座

イベント情報に掲載しておけばよかったな……とあとで気づいたのですが……。

本日は、香芝市民図書館で、おはなしボランティア フォローアップ講座でした。

雨の中、参加してくださった熱心な受講者の皆さん、また、ぎりぎりまでご準備下さった図書館の担当者さま、お世話になりました。

今日の講座は、正置友子先生ほかの講師をお招きして実施された養成講座のフォローアップということで、小学校の図書ボランティアを今後なさる方、すでになさっている方を想定して、
絵本の読み聞かせを中心に、日頃の実践を振り返り、基本の確認をする、
朝の読書の時間を想定して、選び方のヒントになるような絵本の紹介をする、
というような内容でお話をいたしました。

レジュメも本も用意しすぎて、やや詰め込みすぎたかもしれませんが……。
受講者の反応はまずまずだったように思います。ほっ。

基本的な本は、先に行われた連続講座の方ですでに紹介されていますので、今回、古典や有名どころの定評ある絵本をばっさりと省略……。

小学校の朝の読書の時間に、私自身が実際、紹介したことのある絵本を中心に、
中~高学年の子どもたちにも満足してもらえそうな絵本、
おはなしの本だけでなく、知識・科学系やリアル系の絵本を、
いくつかのテーマで関連づけて紹介しました。

これが、少し目先がかわり、ふだん手に取らない本と出会えたということで、好評だったかなと感じています。

なんと、「香芝第九」のステージで、お隣合わせで歌った方が受講して下さっており、
早速の再会を果たすという、うれしいおまけつきでした。
みなさま、ありがとうございました。

関連記事

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Cream Sound Cookie 初CD!

またまたブログの趣旨とは関係のないネタで申し訳ありません。最近続いております……ご容赦。

地元福知山で、ピアノと声楽を教えている姉が、時々地味に活動している音楽ユニットで初CDを出しました。
ヴォーカルさんがとても素敵で、なかなか好評だそうです。
イベントなどでは、お子様にも喜ばれているとか……。

地元周辺の方、もしどこかで見かけられたら、よろしくお願いいたします。

アコースティックユニットCream Sound Cookieの「そらしど」。



オリジナル4曲入り
1stCD「そらしど」(¥500 送料別途)

購入ご希望の方はこちらまで
メールでお問い合わせください。↓
creamsoundcookie@yahoo.co.jp


わたしの手元にも少しあずかっています。
聴いてみたい、購入したいという方がいらっしゃったらご連絡ください。
事務局までメール、ブログにコメント、メッセージなど、お待ちしています。



CD収録曲からsherryのLive映像です。




映像はありませんが、「くらげの唄」。




アコースティックユニットCream Sound Cookieのブログはこちら。

Cream Sound CookieのLive映像はこちら。



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魔女の血をひく娘 セリア・リーズ

魔女の血をひく娘 1・2 セリア・リーズ

「私(せんせい)のすすめる一冊」~大学教員が大学生におすすめしたい本を紹介する小冊子(大阪樟蔭女子大学図書館が2年に一度発行。)から転載します。


魔女の血をひく娘魔女の血をひく娘
(2002/10)
セリア リーズ

商品詳細を見る

『魔女の血をひく娘1 Witch Child』 セリア・リーズ著 亀井よし子訳 (理論社、2002)
Witch Child. Celia Rees. 2000.

魔女の血をひく娘〈2〉魔女の血をひく娘〈2〉
(2003/11)
セリア リーズ

商品詳細を見る

『魔女の血をひく娘2 Sorceress』 セリア・リーズ著 亀井よし子訳 (理論社、2003)
Sorceress. Celia Rees. 2002.

「わたしはメアリー、わたしは魔女……」
女性たちの手から手へと伝えられた、植民地時代にまでさかのぼる古いキルト。
時を経て、ぼろぼろになった縫い目からこぼれおちた紙片。
それは、少女メアリーの手記だった……。

魔女裁判で祖母を失い、新大陸アメリカに渡ったメアリー。
だが、海を渡ったのは、ひとりメアリーだけではなかった。

過去を捨て、新世界で始まった新たな生活もつかの間、再び、魔女と名指される恐怖が身に迫ったそのとき……。
メアリーは、深い森に姿を消した。

手記を発見し、メアリーの痕跡を追う研究者アリソン。
そして、アリソンの本を読んで、一族の過去を探求しはじめるアグネス。

メアリーの物語は、現代を生きる女性二人の探求の物語と綯いあわされて、過去と現在とを結びつけ、植民地時代から現代まで、激しく渦巻き流れるアメリカの歴史が語り直されていく。

癒しの知恵と技を手に、二つの世界を生き抜いたメアリー。
その驚くべき人生は、過酷さと悲嘆に満ち、そして、それでもなお、幸福と希望を湛えている……。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヨーロッパで吹き荒れた「魔女狩り」の嵐は、アメリカにも飛び火し、さらに陰惨で過酷な魔女裁判を引き起こすことになりました。
その史実を巧みに織り込んで、物語は、発端からダイナミックに展開していきます。

少女の運命の糸は、どう織りなされていくのか……。
少女の手記をみつけたアリソンは、そして、アリソンに連絡をとろうとするアグネスは誰なのか。
二人の人生と、少女の運命は、いつ、どのように交錯するのか……。

……メアリーの人生の変転は驚きの連続で、先が気になって気になって、ページをめくる手がとまりません。

「魔女」と名指された一人の少女の視点から、すなわち、従来のメインストリームとははずれた視点から、様々な少数派の声を響かせ、少数派が生き抜いてきた様々な、そして、驚くべき体験を織り込みながら、「アメリカ」を語り直していく歴史改変小説。

「魔女」とは何か、「魔女」はいかにして生み出されるのか……。終わりのない問いを、問い直し、問い続けるために、ぜひ、読んでみてほしい本です。



(「私のすすめる一冊 4」大阪樟蔭女子大学図書館 編・発行 2008.10.10)

関連記事
『奇跡の少年』 『赤い預言者』 オーソン・スコット・カード
『イシ』 シオドーラ・クローバー



↓<本が好き!>に参加しています。↓




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はるか彼方からの光

一年が過ぎました。
3月11日には、各地で、追悼行事や様々のイベント、デモが繰り広げられましたが、わたしは、ひどい風邪をひいてしまい、自宅で静かに、ふだんは滅多にみないテレビを見て過ごしました。

時間枠を無視して、たくさんの特別番組が放送されましたが、最も強い印象を残したのは、NHK「3月11日のマーラー」。
心打たれる言葉と音楽に満ちた素晴らしい番組でした。

あの日に起こった無数の奇跡。
異様な緊張感に包まれるなかで鳴り響いたマーラーの交響曲も、その一つだったのでしょう。
結晶のような音楽が奏でられた奇跡。そして、その場に居合わせることの奇跡。

そして、奇跡は、一人ひとりの手で手繰りよせられてこそ現出するのだと、そんなことを思いました。

さて、とうとう明日に迫りました。「香芝第九」。ベートーヴェン第九交響曲の第四楽章を歌います(本当は、全楽章通して聞けるとよいのですが・・・・・・四楽章のみです。残念)。

関連記事→香芝第九!

高校生のときに初めて歌って以来、何度目かの第九。
全体の流れ、歌詞、歌い出しのタイミングはまるごと覚えているし、ドイツ語を少し習ったので歌詞の意味も大体分かる……。

とはいえ、合唱そのものをやめてから10年・・・・・・。そもそも歌えるのか……?
・・・・・・実際、感覚を取り戻すのにこれほど時間がかかるとは思いませんでした。一時はどうなることかと思いましたが、12月頃から、歌えそうな感じになってきました。

出産の無理がたたって体をこわし、治療しながら、だましだまし、社会復帰してきたこの10年を思うと、今、こんなふうに歌えることに感謝。

そして、高校生、大学生の頃、ただ楽しいだけで、歌っていたときとはちがって、歌詞の意味、音の意味をこれほど深く、必死で考え抜いたことはありませんでした。
ひとつひとつの言葉を言葉として、意味をのせて歌うことができそうな気がしています。そういう意味でも、今、このタイミングで歌えることに感謝。

今や、第九といえば、素人参加の大コンサートがふつうですが、素人でも気楽に歌えるかといえば、決してそんなことはないと思います。

人の歌う声も、楽器の一つ、音楽を構成する一部分として扱われているために、各パートの声域を越えて高かったり低かったり、不協和音や、急激な音の上がり下がりも多く、本当にきちんと歌おうと思ったら、正直、けっこう難しいかも・・・・・・(体力と勢いで歌いきってしまいがちですが……というかそうでないと無理……?)。

にも関わらず、第九といえば、分かりやすく歌いやすい、シンプルなあのフレーズを思い出しますよね。
みなさんよくご存じのあのメロディこそ、ベートーヴェンの仕掛けた罠なのだと思います。

ほとんど、ドからソまでの5音におさまり、一音ずつ、階段を上がって下りるような形を繰り返すあのメロディは、ドレミの歌と同じコンセプトですよね。むしろ、ドレミの歌よりも簡単といってもよいくらいで、誰でもすぐに覚えて口ずさめるように作られているのです。

ベートーヴェンの楽曲には、モーツァルトが鼻歌で作った(というと失礼かしら、でもあくまで軽やかに心おもむくままに作っているように見える・・・・・・それが天才が天才たるゆえん)楽曲にも似た自然な美しさや、民謡調の分かりやすさが含まれています。

そうでありながら、親しみ深い旧来の技術を駆使しつつ、旧来の職人芸的な音楽を内側から突き破る、思想や感情の表現が模索されるところがベートーヴェンならではなんですよね。

というわけで、キャッチーなメロディーに誘われて足を踏み入れたが最後。塗炭の苦しみをなめ、必死の形相で絶叫することになるわけです。

ベートーヴェンの時代は、楽器の進化が著しく、オーケストラも進化の途上にありました。コンサートをしようにも、まともに演奏できる人を揃えることすら難しかったという話もあります。

そんな時代に合唱付きの交響曲を舞台にのせる。
ベートーヴェンが求めたのは、王侯貴族のために、優れた歌手が美しく豊かに歌いあげるというようなものではなく、きっと、歌というよりは叫びや祈りに近いもの、今、ここに現象しようとしている苦悩や葛藤、諦念、それでもなおかつ、何かを求めて、必死で歌う人間の姿、それをそのままステージにのせることではなかったかと思えるのです。

シラーの長大な詩からベートーヴェンが選んだ言葉、そして、さらに自ら付け加えた言葉。
それは、「歓喜」を歌い、はるか彼方にあるはずの神、至高の存在を感じ、確信するに至る過程を綴っています。

苦悩と葛藤にのたうちまわりながら、「歓喜」を求め、空のはるかかなた、いと高きところ、星々のむこうに、至高の存在があるのだろうか、あるはずだ、きっとあるにちがいない・・・・・・感取するか、信じるか。と問い続けます。

協和音と不協和音が繰り返されて、音楽的にも、容易には解放されず、時として、えもいわれぬ、天上的な美しさが出現しながらも、世俗的な喜び(音楽)への耽溺と、天上を目指して舞いあがろうとする旋律が繰り返し交代して現れます。

まるで、天上界とこの世界の間を、舞い上がり舞い降りながら、歌い続けるひばりのように。

オーケストラとあわせて歌っているとき、ほんとうに、天上界、至高の聖所、そこにおわす神が、垣間見えるかのような、奇跡的な一瞬、精妙な美しさに鳥肌のたつような瞬間が出現することがあります。
ほんの一瞬、いと高きところからさす光が見えるような気がするのです。

いよいよ明日。
のどの症状がひどくて、コンディションはあまりよくありませんが、それでも歌いたい。
苦悩と葛藤、その中にあってこそ、垣間見える光。
それこそがベートーヴェンの表現したかったことなのだと信じて。

あれから1年。
そして、明日は、奇しくも祖母の49日法要の日。神様が特別に用意してくれたこの日のステージで、はるか彼方の光を求めて歌いたいと思います。
光は見えるでしょうか。祖母は光に満ちた至高の場所にたどりついたでしょうか。
もし光が見えたら、そこに、祖母の姿も見えそうな気がしています。
明日、雲間から光がさしますように。

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子どもたちへ 本を届けよう 子どもたちへ 本を届けよう 2012年03月

子どもたちへ 本を届けよう

西日本から 子どもたちへ本を届けよう ネットワーク

二つの世界を生きる

「私(せんせい)のすすめる一冊」~大学生におすすめしたい本を紹介する小冊子(大阪樟蔭女子大学図書館発行)から転載します。

関連記事→セリア・リーズ 『魔女の血をひく娘』

★もっと読みたい方に……

『奇跡の少年』 オースン・スコット・カード著 角川文庫
Seventh Son.Orson Scott Card. 1987.
奇跡の少年 (角川文庫)奇跡の少年 (角川文庫)
(1998/11)
オースン・スコット カード

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『赤い予言者』 オースン・スコット・カード著 角川文庫
Red Prophet. Orson Scott Card. 1988.
赤い予言者 (角川文庫)赤い予言者 (角川文庫)
(1999/11)
オースン・スコット カード

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『魔女の血をひく娘』と同じく、植民地時代のアメリカを背景とする歴史改変小説だが、
よりファンタジー色が強く、実際の歴史とは微妙に異なるパラレルワールドを舞台に、
魔法や特異な力の存在をめぐって物語が展開される。
(続編は未邦訳)


『イシ ― 北米最後の野生インディアン』シオドーラ・クローバー著 岩波書店
Ishi in Two Worlds : A Biography of the Last Wild Indian in North America, Theodora Kroeber (1961).
イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)
(2003/11/14)
シオドーラ・クローバー

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イシ―北米最後の野生インディアン (同時代ライブラリー)

イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語
(1977/09/22)
シオドーラ クローバー

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児童文学の古典に『モヒカン族の最後』(ダニエル・デイ・ルイス主演の映画「ラスト・オブ・モヒカン」)があるが……。

本作品は、実際に、自らの属する部族の最後の一人、まさに「生き残り」となったイシが、
白人の世界で生きることを選び、二つの世界を生きた半生の記録である。

著者は、文化人類学者アルフレッド・クローバーの妻、
そして、『ゲド戦記』の作者アーシュラ・K・ル=グィンの母。

(「私のすすめる一冊 4」大阪樟蔭女子大学図書館 編・発行 2008.10.10)

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おはなしボランティアフォローアップ講座

イベント情報に掲載しておけばよかったな……とあとで気づいたのですが……。

本日は、香芝市民図書館で、おはなしボランティア フォローアップ講座でした。

雨の中、参加してくださった熱心な受講者の皆さん、また、ぎりぎりまでご準備下さった図書館の担当者さま、お世話になりました。

今日の講座は、正置友子先生ほかの講師をお招きして実施された養成講座のフォローアップということで、小学校の図書ボランティアを今後なさる方、すでになさっている方を想定して、
絵本の読み聞かせを中心に、日頃の実践を振り返り、基本の確認をする、
朝の読書の時間を想定して、選び方のヒントになるような絵本の紹介をする、
というような内容でお話をいたしました。

レジュメも本も用意しすぎて、やや詰め込みすぎたかもしれませんが……。
受講者の反応はまずまずだったように思います。ほっ。

基本的な本は、先に行われた連続講座の方ですでに紹介されていますので、今回、古典や有名どころの定評ある絵本をばっさりと省略……。

小学校の朝の読書の時間に、私自身が実際、紹介したことのある絵本を中心に、
中~高学年の子どもたちにも満足してもらえそうな絵本、
おはなしの本だけでなく、知識・科学系やリアル系の絵本を、
いくつかのテーマで関連づけて紹介しました。

これが、少し目先がかわり、ふだん手に取らない本と出会えたということで、好評だったかなと感じています。

なんと、「香芝第九」のステージで、お隣合わせで歌った方が受講して下さっており、
早速の再会を果たすという、うれしいおまけつきでした。
みなさま、ありがとうございました。

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Cream Sound Cookie 初CD!

またまたブログの趣旨とは関係のないネタで申し訳ありません。最近続いております……ご容赦。

地元福知山で、ピアノと声楽を教えている姉が、時々地味に活動している音楽ユニットで初CDを出しました。
ヴォーカルさんがとても素敵で、なかなか好評だそうです。
イベントなどでは、お子様にも喜ばれているとか……。

地元周辺の方、もしどこかで見かけられたら、よろしくお願いいたします。

アコースティックユニットCream Sound Cookieの「そらしど」。



オリジナル4曲入り
1stCD「そらしど」(¥500 送料別途)

購入ご希望の方はこちらまで
メールでお問い合わせください。↓
creamsoundcookie@yahoo.co.jp


わたしの手元にも少しあずかっています。
聴いてみたい、購入したいという方がいらっしゃったらご連絡ください。
事務局までメール、ブログにコメント、メッセージなど、お待ちしています。



CD収録曲からsherryのLive映像です。




映像はありませんが、「くらげの唄」。




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Cream Sound CookieのLive映像はこちら。



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魔女の血をひく娘 セリア・リーズ

魔女の血をひく娘 1・2 セリア・リーズ

「私(せんせい)のすすめる一冊」~大学教員が大学生におすすめしたい本を紹介する小冊子(大阪樟蔭女子大学図書館が2年に一度発行。)から転載します。


魔女の血をひく娘魔女の血をひく娘
(2002/10)
セリア リーズ

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『魔女の血をひく娘1 Witch Child』 セリア・リーズ著 亀井よし子訳 (理論社、2002)
Witch Child. Celia Rees. 2000.

魔女の血をひく娘〈2〉魔女の血をひく娘〈2〉
(2003/11)
セリア リーズ

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『魔女の血をひく娘2 Sorceress』 セリア・リーズ著 亀井よし子訳 (理論社、2003)
Sorceress. Celia Rees. 2002.

「わたしはメアリー、わたしは魔女……」
女性たちの手から手へと伝えられた、植民地時代にまでさかのぼる古いキルト。
時を経て、ぼろぼろになった縫い目からこぼれおちた紙片。
それは、少女メアリーの手記だった……。

魔女裁判で祖母を失い、新大陸アメリカに渡ったメアリー。
だが、海を渡ったのは、ひとりメアリーだけではなかった。

過去を捨て、新世界で始まった新たな生活もつかの間、再び、魔女と名指される恐怖が身に迫ったそのとき……。
メアリーは、深い森に姿を消した。

手記を発見し、メアリーの痕跡を追う研究者アリソン。
そして、アリソンの本を読んで、一族の過去を探求しはじめるアグネス。

メアリーの物語は、現代を生きる女性二人の探求の物語と綯いあわされて、過去と現在とを結びつけ、植民地時代から現代まで、激しく渦巻き流れるアメリカの歴史が語り直されていく。

癒しの知恵と技を手に、二つの世界を生き抜いたメアリー。
その驚くべき人生は、過酷さと悲嘆に満ち、そして、それでもなお、幸福と希望を湛えている……。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヨーロッパで吹き荒れた「魔女狩り」の嵐は、アメリカにも飛び火し、さらに陰惨で過酷な魔女裁判を引き起こすことになりました。
その史実を巧みに織り込んで、物語は、発端からダイナミックに展開していきます。

少女の運命の糸は、どう織りなされていくのか……。
少女の手記をみつけたアリソンは、そして、アリソンに連絡をとろうとするアグネスは誰なのか。
二人の人生と、少女の運命は、いつ、どのように交錯するのか……。

……メアリーの人生の変転は驚きの連続で、先が気になって気になって、ページをめくる手がとまりません。

「魔女」と名指された一人の少女の視点から、すなわち、従来のメインストリームとははずれた視点から、様々な少数派の声を響かせ、少数派が生き抜いてきた様々な、そして、驚くべき体験を織り込みながら、「アメリカ」を語り直していく歴史改変小説。

「魔女」とは何か、「魔女」はいかにして生み出されるのか……。終わりのない問いを、問い直し、問い続けるために、ぜひ、読んでみてほしい本です。



(「私のすすめる一冊 4」大阪樟蔭女子大学図書館 編・発行 2008.10.10)

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『奇跡の少年』 『赤い預言者』 オーソン・スコット・カード
『イシ』 シオドーラ・クローバー



↓<本が好き!>に参加しています。↓




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はるか彼方からの光

一年が過ぎました。
3月11日には、各地で、追悼行事や様々のイベント、デモが繰り広げられましたが、わたしは、ひどい風邪をひいてしまい、自宅で静かに、ふだんは滅多にみないテレビを見て過ごしました。

時間枠を無視して、たくさんの特別番組が放送されましたが、最も強い印象を残したのは、NHK「3月11日のマーラー」。
心打たれる言葉と音楽に満ちた素晴らしい番組でした。

あの日に起こった無数の奇跡。
異様な緊張感に包まれるなかで鳴り響いたマーラーの交響曲も、その一つだったのでしょう。
結晶のような音楽が奏でられた奇跡。そして、その場に居合わせることの奇跡。

そして、奇跡は、一人ひとりの手で手繰りよせられてこそ現出するのだと、そんなことを思いました。

さて、とうとう明日に迫りました。「香芝第九」。ベートーヴェン第九交響曲の第四楽章を歌います(本当は、全楽章通して聞けるとよいのですが・・・・・・四楽章のみです。残念)。

関連記事→香芝第九!

高校生のときに初めて歌って以来、何度目かの第九。
全体の流れ、歌詞、歌い出しのタイミングはまるごと覚えているし、ドイツ語を少し習ったので歌詞の意味も大体分かる……。

とはいえ、合唱そのものをやめてから10年・・・・・・。そもそも歌えるのか……?
・・・・・・実際、感覚を取り戻すのにこれほど時間がかかるとは思いませんでした。一時はどうなることかと思いましたが、12月頃から、歌えそうな感じになってきました。

出産の無理がたたって体をこわし、治療しながら、だましだまし、社会復帰してきたこの10年を思うと、今、こんなふうに歌えることに感謝。

そして、高校生、大学生の頃、ただ楽しいだけで、歌っていたときとはちがって、歌詞の意味、音の意味をこれほど深く、必死で考え抜いたことはありませんでした。
ひとつひとつの言葉を言葉として、意味をのせて歌うことができそうな気がしています。そういう意味でも、今、このタイミングで歌えることに感謝。

今や、第九といえば、素人参加の大コンサートがふつうですが、素人でも気楽に歌えるかといえば、決してそんなことはないと思います。

人の歌う声も、楽器の一つ、音楽を構成する一部分として扱われているために、各パートの声域を越えて高かったり低かったり、不協和音や、急激な音の上がり下がりも多く、本当にきちんと歌おうと思ったら、正直、けっこう難しいかも・・・・・・(体力と勢いで歌いきってしまいがちですが……というかそうでないと無理……?)。

にも関わらず、第九といえば、分かりやすく歌いやすい、シンプルなあのフレーズを思い出しますよね。
みなさんよくご存じのあのメロディこそ、ベートーヴェンの仕掛けた罠なのだと思います。

ほとんど、ドからソまでの5音におさまり、一音ずつ、階段を上がって下りるような形を繰り返すあのメロディは、ドレミの歌と同じコンセプトですよね。むしろ、ドレミの歌よりも簡単といってもよいくらいで、誰でもすぐに覚えて口ずさめるように作られているのです。

ベートーヴェンの楽曲には、モーツァルトが鼻歌で作った(というと失礼かしら、でもあくまで軽やかに心おもむくままに作っているように見える・・・・・・それが天才が天才たるゆえん)楽曲にも似た自然な美しさや、民謡調の分かりやすさが含まれています。

そうでありながら、親しみ深い旧来の技術を駆使しつつ、旧来の職人芸的な音楽を内側から突き破る、思想や感情の表現が模索されるところがベートーヴェンならではなんですよね。

というわけで、キャッチーなメロディーに誘われて足を踏み入れたが最後。塗炭の苦しみをなめ、必死の形相で絶叫することになるわけです。

ベートーヴェンの時代は、楽器の進化が著しく、オーケストラも進化の途上にありました。コンサートをしようにも、まともに演奏できる人を揃えることすら難しかったという話もあります。

そんな時代に合唱付きの交響曲を舞台にのせる。
ベートーヴェンが求めたのは、王侯貴族のために、優れた歌手が美しく豊かに歌いあげるというようなものではなく、きっと、歌というよりは叫びや祈りに近いもの、今、ここに現象しようとしている苦悩や葛藤、諦念、それでもなおかつ、何かを求めて、必死で歌う人間の姿、それをそのままステージにのせることではなかったかと思えるのです。

シラーの長大な詩からベートーヴェンが選んだ言葉、そして、さらに自ら付け加えた言葉。
それは、「歓喜」を歌い、はるか彼方にあるはずの神、至高の存在を感じ、確信するに至る過程を綴っています。

苦悩と葛藤にのたうちまわりながら、「歓喜」を求め、空のはるかかなた、いと高きところ、星々のむこうに、至高の存在があるのだろうか、あるはずだ、きっとあるにちがいない・・・・・・感取するか、信じるか。と問い続けます。

協和音と不協和音が繰り返されて、音楽的にも、容易には解放されず、時として、えもいわれぬ、天上的な美しさが出現しながらも、世俗的な喜び(音楽)への耽溺と、天上を目指して舞いあがろうとする旋律が繰り返し交代して現れます。

まるで、天上界とこの世界の間を、舞い上がり舞い降りながら、歌い続けるひばりのように。

オーケストラとあわせて歌っているとき、ほんとうに、天上界、至高の聖所、そこにおわす神が、垣間見えるかのような、奇跡的な一瞬、精妙な美しさに鳥肌のたつような瞬間が出現することがあります。
ほんの一瞬、いと高きところからさす光が見えるような気がするのです。

いよいよ明日。
のどの症状がひどくて、コンディションはあまりよくありませんが、それでも歌いたい。
苦悩と葛藤、その中にあってこそ、垣間見える光。
それこそがベートーヴェンの表現したかったことなのだと信じて。

あれから1年。
そして、明日は、奇しくも祖母の49日法要の日。神様が特別に用意してくれたこの日のステージで、はるか彼方の光を求めて歌いたいと思います。
光は見えるでしょうか。祖母は光に満ちた至高の場所にたどりついたでしょうか。
もし光が見えたら、そこに、祖母の姿も見えそうな気がしています。
明日、雲間から光がさしますように。

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